2015年にブログに書いた記事の再投稿です。
「ネガティブ・プレジャー」について。
『群れ(集団)で生きる生き物は、
共通のターゲットを決めて虐めたり“敵”として責めることで
群れの団結力が異常に増す。』
これは私の経験からも実感していることで
「いぢめのサイクル」の話なんかになった時には言ってます。
例えそれが複数人いる集団だろうと、
自分と相手の2人しかいなかろうと、
こういう事を話題にしたりすると団結力や共有感覚が異常なほど増すんです。
他者(モノを含む)の悪口、
つまりネガティブ噂話を集団で話した時に得られる快感の事を
“ネガティブ・プレジャー”と言うんだそうです。
確かに悪口や噂話をすると団結力や結束力は増すんです。
そしてその関係で友情も深まる気がする・・・
しかし
そのうちターゲットが自分に回ってくるのではないか
という不安や強迫観念からますますネガティブな関係が出来上がっていきますし
いずれ関係や団結は崩壊します。
また
明らかに いぢめであったり “敵”を責めているケースと
物事や誰かを「評価」しているつもりになっているネガティブ・プレジャーもあると思います。
評価する事が何故ネガティブなのかと言うと
評価=批判・否定になっていることが非常に多いと思うからです。
内容や価値などを判断したり見定めたりするのが「評価」なのに
大抵ネガティブな部分を探ってしまっていませんか?
冷静になると 「アンタ 何様?!」 状態なのですが
部外者であったり実際に関わっていない者が、結果論などで正論であろうとおぼしきことを言ったり、
あるいは「自分の方が知っている・できる」というアピールの為なのか
好き勝手言っちゃってると思う事はありませんか?
このネガティブ・プレジャー、
ギルティ・プレジャーとあいまるとカウチポテトへ直行じゃないでしょうか(-_-;)
ギルティ・プレジャーというのは
ポテトチップスや甘いお菓子、お酒やジャンクフード等の事を言うそうなのですが
何処かのお店でスイーツを食べながら誰かの噂話…なんて……恐ろしいっ!(爆)
ネガティブ・プレジャーの言葉に違和感や不快感を持ち始めても
自分だけ言わない、加わらないようにするのはなかなか難しいです。
でもいつまでもその歪んだ快楽の中に浸るのは
長い人生の事を考えるとマイナスな環境であることはよくわかります。
早めに抜け出すに越したことはないですね。
それに伴い友人関係が変わったり環境に変化を伴わなければならなかったりします。
特に友人関係では、
単に会わなくなる・話をしなくなる、というだけではない覚悟も時には必要かもしれません。
だとしても
本当に楽しい事が何なのかを知っている人が居る場所は何処なのか?!
それを探しに行く勇気&見付けることが大切ですよね!